永代供養の境内自然葬

ずっとあなたのそばに置いておいてねといわれて (40代女性 独身 母と2人暮らし)  

若い頃に一度、結婚したいと思った男性がいたのですが、その方と縁がないまま関係が終わってしまい、以来お付き合いをする人も現れないまま気づけば婚期を逃してしまいました。

幼い頃から母との2人暮らしが長かったこともあり、私が結婚した後の母の生活が心配だったというのもありますね。

母一人子一人で、いつでもお互いを頼り、支え合って生きてきました。

そんな母も70の誕生日を迎えた頃から、体に衰えを感じ始めたようで、時間が経つごとに気弱なつぶやきも増えていきました。

 

「私が死んだらあなたがひとりになってしまう」

(前半)旧友が亡くなり、久しぶりに実家のある大分へ戻り葬儀に参列。旧友として火葬場に同行して、そこで覚えた違和感から、自分の家族の弔いについて考え始めました。 家墓がある自分のこれから うちの実家にも先祖の骨壺が入ったお墓がありますよ。 両親にその時が来たら、これまでの流れで言えば私は、両親の遺骨をその墓に納めるでしょうね。 でも、自分がそこに入るか?と尋ねられると…考えられないんです。 私にとって先祖も両親ももちろん大事なのですが、ずっとそこに骨壺を納めていることには、モヤっとした罪悪感がいつもありました。 なんだか、放置、義務感、責任というのでしょうか。前向きなイメージがわきません。 きっと、ひんぱんにお墓参りが出来る所に住んでいない後ろめたさですよね。実際に、お墓の手入れが年1回すら出来ていないんですよ。 誰かにお願いするのもアリでしょう。そんな代行サービスがあると聞いたこともあります。 でも…、そこまでしてお墓って残さなければならないものなんでしょうかね。 無常だ残酷だ、親族を大事にしていない、とまた誤解をされるかもしれませんが、そんなつもりは全くありません。 面倒なことを手放すためのいいわけでもありませんよ。 「残すこと」にこだわらない考え方もある 自分と同い年の友人が亡くなって、これまでよりずっと『死』がリアルになったんですよね。 私の両親はまだまだ元気ですが、友人のように親より先に逝くかもしれないわけですし。急に病気が見つかったり、交通事故であっさりと…なんて不謹慎に聞こえるかもしれませんがそういうことですよね。 生身で感情のある人間が、ある日突然、その体(物体)から活ける魂がなくなって抜け殻になる。 抜け殻に対していくら拝んでも拝んでも、それってなんだか違うなあ…大事にしてることにはならないなあと思ってしまったんです。 無くてもいいんじゃないかな、その遺骨。ずっとそこに置かれていて幸せなのかな…ってね。

母は、近所でも「元気なおばさま」と代名詞がつくほど、いつもニコニコして井戸端会議も好きな人です。

同じ女性として、人間として、とてもステキな人だと思うし心から尊敬しています。

そんな母が、ある日突然私に「お母さんが死んだら、ずっと遺骨をあなたのそばに置いておいてね」と言ったのです。

根っから明るい人が、すこし弱気なことを言うと「どうしたの??」と余計に心配になってしまうもの。

ただ、母にとって「老い」はずっと不安だったことかもしれないし、それが年と共に大きくなっていって、言葉にする回数も増えてきたのかもしれません。

「まだまだ元気なんだから大丈夫だよ」という私の言葉をよそに、母はどんどん落ち込んでいくように感じました。

その不安は自分の命のことであり、きっと私の将来のことでもあったと思います。

私の将来…それは、私が一人になった時。そして母がこの世からいなくなった後。という意味でしょう。

私一人を残してあの世に行くのは、母にとって見えない将来だし、私のその後が心配だったんでしょうね。

だから、せめて骨になった後でも私の拠りどころになれるように。手元供養ならずっとそばにいてあげられるよ。そんな思いだったんだと思います。

 

母を安心させるために母の将来を準備

私が結婚でもして、きちんと生きていく基盤のようなものが形で見せられれば、母も安心するのかもしれませんね。

でも、正直、今後「つれあい」となる人が現れるのかなんて、私にもわかりませんし、見えない私の将来は、いくら言葉で「大丈夫。心配ない」と伝えたところで何の根拠もありませんよね。どうしようもないわけです。

そこで私は、私ではなく母の将来を準備することにしました。

母がこの世からあちらに逝ったあと、どうなるのか…これをきちんと形に残してあげようと思い立ったのです。

不謹慎に聞こえますか?母の死後の準備を今からしておくなんて。

でも、大事なことだと思ったんです。私が母をどんなふうに送るのか。

弔いの準備は、心構えをして、前向きに考えているということの表れにもなるなと思いますし。

私はたとえ一人でも大丈夫だよ。と、形で伝えてあげたかったのです。

 

母と私にぴったりだった自然葬

永代供養の境内自然葬

生前申込が出来ると聞いて、宗派を問わず永代供養をしてくれるというお寺を見学に行きました。

自然がとっても豊かで、そこにいるだけで心がスンとする。というのでしょうか…。

お寺のご住職の人となりもステキで、環境も整っていて「ここにずっと居たいね」と私も母も気持ちは同じでした。

なので、迷いなくその場で二人の永代供養を申し込みましたよ。

細かい段取りや手続きはこれから、または旅立ちの時となりますが、母は自分の将来を自分で決められて、そして私の気持ちも察してくれて、心が穏やかになったように感じます。

母の旅立ちの時には分骨することも、本人に承諾済みです。

そばに母の何かを感じていたいですし、母も「ずっとあなたのそばに置いておいてね」と言ってくれましたから。

死は怖いものだ、と思っていましたが、今の世で後悔や不安を一つずつクリアしていけば自然と怖さは和らいでいくんだな。と感じました。

来るべき母の旅立ちの前に、二人でもっとたくさんの思い出を作り、日々を大切に楽しみたいと思っています。

 

>「自然葬」土に還るという美しい選択

「自然葬」土に還るという美しい選択

飛来山霊山寺は1300年の歴史をもつ特別な場所、そして、西国霊場八番札所として知られる「聖域」です。そんな格式の高い霊山寺では、「自然葬」という、自然の土に還る埋葬をしています。大分で自然葬を考えているなら、ぜひ飛来山霊山寺にご相談ください。

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