大分の霊山寺の入口の写真

「お墓はいらないからね」と親から言われました(40代主婦 会社員 大阪在住 4人家族)

実家の大分に住む母は現在1人暮らしをしています。

私が学生だった時に、父を交通事故で亡くし、それから母1人で私と弟を育ててくれました。

結婚して私は大阪に住んでいますが、弟は実家で奥さんと子どもと2世帯で暮らしています。

そんな母がある日突然LINEで「お墓はいらないからね」とメッセージを送って来たのです。

お墓の持つ意味を考えるきっかけ

お墓はいらないと母から電話がありました

母は、その時に思った事や考えていることをすぐに口に出すタイプ。お墓は要らないとメッセージをくれた時も、ちょうどテレビで終活についての特集番組をやっていたそうです。

気になって電話をすると、「子どもたちに葬式が終わった後にあれこれ手間をかけさせたくないから」と、その番組の放送内容もよく知らない私に、話を唐突に始めました。

親として、子どもに迷惑をかけたくないと思ってくれているのでしょう。

それは、親の立場からすると優しさなのかもしれません。けれど、母は今弟家族と一緒に暮らしています。

「弟たちの気持ちも聞いてみたら?」と言ってその時は電話を切りました。

その後、弟から連絡があり…「お父さんのお墓もあるし僕はここで家とお墓を守っていくよ」と話してくれました。

ただ、その時私が気になったのは、弟の奥さんのこと。

義妹の実家は資産家で、ごくごく普通の家でしかも母子家庭の弟と結婚するのも、ご両親から反対に遭い大変なことでした。

家を守る、継ぐということがどれだけの重責なのか…。弟もそのことは承知しているはず。奥さんの気持ちや考えもきちんと聞くのが大事だと思いましたね。

家墓の存在に意味がある弟の思い

父が亡くなったのは、弟が中学生の時でした。お父さんが大好きだった弟は、多感な学生時代だったこともあって、とても難しい時期を過ごしていたように見えました。

弟にとって父の墓は、まさに父そのもの。何か悩みや節目の報告ごとがあれば、必ずお墓の前で長い時間しゃがんでいました。

そんなお墓を自分が守っていきたい、と思うのは自然な事だと思います。

ただ、弟自身がこれから自分の家族を育て、長い時間を過ごしていくうちに、父の墓に弟が入ることになり…行く行くは自分の子どもに、自分と同じだけのお墓に対する意味を持たせることになります。

今弟は母と一緒に暮らしていますが、もとは転勤族の身。実家から出て生活する可能性も、戻れないことだって考えておかねばなりません。

弟自身のお墓に対する思いと同じように、義妹の実家のお墓のことも考えられるのか…

理想を言えば、同じく故人を弔うことに”血族”の温度差はない方がいいですよね。でも、義妹は実家の家墓に入る可能性も0じゃありません。

こんなことを考えていると、弟の思いと、冷静に考えている私の思いには大きな違いがあると感じました。

そんな違いを、もしかしたら母も感じて、そしてメッセージを送ってきたのかもしれません。

 

大切なのは、誰もが幸せに感じる生き方と弔い

お墓い入る家族は誰

弟夫婦が結婚するときにも感じましたが、人がそれぞれに生きて結婚して、死んでいく間にはやはり「血」が関係します。

個人とはいえ、結局最後にいきつくのは「血族」となってしまう…

私にも家族があって、夫と子どももいます。

しかし、その「血」にとらわれた生き方じゃなく、誰もが当たり前に大切な人を純粋な気持ちで想えば十分なのではないかと、どこかでいつも感じています。

遠くの肉親より近くの他人。なんて言葉もありますよね。

いや、誤解がないように言いますが、もちろん母も、亡くなった父も、弟たち家族も大事なんですよ。それが大前提で、みんながどこかで折り合いをつけて少しでも前向きに人生を過ごせるほうが良いな、と思うんです。

義妹が、「実家が資産家なりに子どもも苦労するんですよね。主人との今の生活が本当に幸せでなりません」と言っていた言葉が、とっても印象的だったのもありますし。

今でも義妹はご実家の両親から「不自由があればいつでも戻ってこい」なんて言われているらしいですから。

家ひとつ、お墓ひとつが、後々に家族を脅かすような闇になるのであれば、それは誰かにとって”良し”で誰かにとって”イヤ”な結論にしかなりません。

ちなみに、今3歳になる子どもがいる私の家族は「お互いの家墓に入らない」「墓は建てない」「手元供養して子どもが結婚する時に永代供養」と決めています。

子どもが所帯を持つ前に自分たちが死んだら、その存在は家族として遺骨を家において置き、子どもが結婚したときにその役目を終えさせる、という私たちなりの考えです。

子どもが結婚した後にどちらかが先立てば…。残ったつれあいの解放(笑)ですね。

「私の来るべき時には、大分の実家の裏手山中腹にある永代供養をしてくれるお寺の自然葬に骨だけ郵送して」と主人には伝えていますし、こちらのお寺に申し込んだ日、子ども宛てに手紙も書きました。用意周到でしょ(笑)

大分の霊山寺の入口の写真

想いで家族とつながる幸せもある

ひと昔前は、「立派なお墓を建てた」とか「死にごとはケチらない」とかいう話を聞きましたが、今は時代も変わりましたよね。

現生にいる間じゃなきゃお金は使えませんし、亡くなった後に立派に送り出すくらいなら、生前になにか盛大に思い出を作ったほうが、故人も家族もきっと幸せだと思います。

弟は、父への思いをお墓に重ねていますし、もちろんそれは弟にとって必要なことですが、今から数十年先の家族のことといっしょに、お墓は考えるべきですよね。

だから母は「要らない」って言ったのだと思いますし、「お墓じゃない方法で私を送ってくれ」という、言葉にしない思いがたくさん隠れていたんだと思います。

いくらお墓をいつもキレイに磨いていても、磨くことが義務で、そこに思いがなければただの石。それか近所の体裁繕いでしょう。

遠く離れたところにお墓があれば、「いつも見守ってくれてありがとう」と日々思い出して、遺骨の眠る家(お墓)を出張クリーンサービスに依頼するような、そんな気持ちが根っこにある行動が故人への愛情だと思います。

家が遠ければ引っ越せばいい。引っ越しが頻繁なら賃貸でいい。家が大きすぎてお金が係るなら、ホームや共同生活に入ればいい。

母の言葉をきっかけに、「家も、お墓も、考え方は同じだな…」と改めて考えましたね。

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飛来山霊山寺は1300年の歴史をもつ特別な場所、そして、西国霊場八番札所として知られる「聖域」です。そんな格式の高い霊山寺では、「自然葬」という、自然の土に還る埋葬をしています。大分で自然葬を考えているなら、ぜひ飛来山霊山寺にご相談ください。

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